0999.無縁仏のお参りは本当にNGなのか?Part3

本日も「無縁仏のお参りは本当にNGなのか?」の続きをお話したいと思います。
今回が3回目となります。

無縁仏にお参りした実体験というのは、なかなか聞ける話ではないので、興味を持っている人は多いかもしれませんね。
しかも、生の体験ですから、リアルですね。

宝くじに惨敗してから、約1ヵ月ほど、無縁仏にお参りしていました。
実は、無縁仏だけではなく、お寺の敷地内にある、地蔵様にもその時はお参りしていました。
無縁仏で軽くお参りして(「来世ではたくさんのご縁に恵まれますようお祈りいたします」といった内容のことを祈ります。)、突き当りを左に曲がるとすぐに、今度は左手に水子地蔵がありました。

素通りするのも、何となく気が引けるので、そこでもお参りしました。
そこには、小さな鐘を鳴らすこともできて、しかもきちんと線香も焚かれています。
そこでも、「今世では短い命でしたが、来世では天寿を全うできますようお祈りいたします」といった内容のことを祈ります。
私は来世があることを信じているので、無念の死を遂げた人に対しては、来世で幸せになれるようお祈りします。

来世を信じていない人は、やはり「安らかに眠って下さい」という文句が定番かもしれませんね。
お墓で、そのセリフを言ってる人は多いかもしれません。
しかし、「ゼロの法則」では、来世があることを前提にして、言葉をかけることになっています。
ですから、「ご冥福をお祈りいたします」が一番簡潔で、的を得た言葉となります。

ただし、他人の葬儀などでは、宗派によってあの世に対する認識がまちまちなので、その宗派に合わせた言葉を選ぶのが適切です。

ご冥福というのは、読んで字のごとく「冥土の幸福を祈る」というものですね。
前回はこんな事を言いました。
「ですから、私はお参りやお経を唱えるのが、決して好きなわけではありません。
それでも、無縁仏や地蔵様には、お参りしています。
私は非常に合理的な人間なので、そういったものに対しては、やはり斜めに見てしまうほうです。」

私は、本当に合理的な人間です。
また、自分で体験したものしか、受け入れることができません。
無縁仏や地蔵様にお参りをしてご利益があるなんていう話は、「怪しい」って昔の私なら思います。

でも、やっぱりその場の波動が違いますね。
その場の波動が違うからこそ、「厄を取り払ってくれる」効果は確実に存在していると思います。
やはり、ご利益を何度か経験すると、信じないわけにはいきません。

「無縁仏にお参りしてはダメ」という人もいるようですが、ほとんどの人は無縁仏になります。
もし無縁仏にならなかったとしても、子孫が手を合わせて気にかけてくれるのはせいぜい孫の世代までですね。
孫の次の世代になると、見たことも聞いたことも顔も知らない先祖なんて、誰もご冥福を祈ることはありません。

「気にかけてあげる」
これが最大の供養になります。
自分の存在を気にかけてくれる。
これが一番の供養であり、人間としての本来の優しさなのではないでしょうか。

ですから、私は年に1、2回位しか、浅草の浅草寺にはいきませんが、浅草寺の本堂に行く前に、本堂を左に曲がって、また右に曲がっていくと、大平和塔という戦災で亡くなられた方の供養塔があります。
そこでまずは、ご冥福を祈ってから、本堂に向かいます。

本堂でお参りする時は、両親のご冥福をただひたすら祈ります。
亡くなった方のご冥福を祈るだけで、本当に心は清々しく欲のない、とても良い精神状態になります。
だから、運がいいのかもしれませんね。

ですから、お寺に行った時には、「自分の願い事はせずに」、ただただ亡くなられた方のご冥福を祈るだけに留めてみると、今までとは違ったご利益があるかもしれませんよ。

ちなみに私はお寺や神社では、ここ10年ほど自分の願い事をしたことは一切ありません。
「欲を解き放つ」と運が良くなるのは、本当だと思います。

皆さんの幸運を心からお祈り申し上げまする

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

今話題のイチオシ開運情報

2020-9-28

1394.開運アドバイザー第三期生募集!

カテゴリー

ゼロの法則ワンポイント復習

人生は選択の繰り返しです!
運の悪い人はこれを選択!
ページ上部へ戻る