1230.安売り王一代私の「ドン・キホーテ」人生Part6

本日は「安売り王一代 私の「ドンキホーテ」人生」の続きをお話ししたいと思います。
今回が6回目になります。

ドンキホーテ創業者の安田さんですが、そのドンキホーテ1号店というのは、東京都府中市だったようです。
ちなみに、私の自宅近くにも「ドンキホーテ」がありますが、つい最近閉店になってしまいました。
閑静な住宅街では、あまり人が集まらないのでしょうかね。

さて、安田さんは、満を持して、1号店を府中市に開店しました。
「必ず繁盛する」
という絶対的な自信があったようです。

しかし、実際には毎月1000万ほどの赤字を垂れ流していたそうです。
理由は、「ドンキホーテ」独自の売り場が作れなかったからです。
ドンキホーテといえば、
圧縮陳列が有名ですね。
ですから、品物が
見にくく、
取りにくく、
買いにくい、
という一般常識とは真逆の商品陳列となっているわけです。
物を探す時のワクワク感を創出させているといっても過言ではありませんね。
買い物を楽しませるというコンセプトがあるのだと思います。

しかし、ドンキホーテで働く社員はみな、普通のお店しか知らないので、当然のことながら、
見やすく、
取りやすく、
買いやすい、
ように商品を陳列してしまいます。
以前のお店、「泥棒市場」のようなお店づくりは、全くできていません。

当たり前ですよね。
普通は、お客さんが商品を取りやすいように、見やすくするのが常識ですから。
それをわざわざ「圧縮陳列」で、取りづらくするよう指示しています。

だったら、社長の安田さんが指揮をとって店舗につきっきりで働けばいいと思われますが、安田さんは卸売業もしていて、そっちは毎月きちんと黒字が出ていて、そちらの仕事が大忙しなのです。
ですから、ドンキホーテ1号店は、店舗スタッフにまかせるしかなかったようです。
著書には次のようなことが書かれています。
『私は従業員に噛んで含めるように圧縮陳列を説明したが、やはり理解してくれない。言葉で説明することを諦めた私は、従業員の前で実際にそれをやって見せ、手取り足取り、マンツーマンで必死に教えた。
でも、できない。いくらやらせても、私の言う圧縮陳列とは似て非なる、単に雑多な商品の山積み陳列にしかならないのだ。』

ということで、ドンキホーテ1号店は、なかなか思うように売上が上がらず、とうとう売却話まででる始末でした。
『「もうダメだ、やめよう」と思ったことも一度や二度ではない。店の売却話に心を動かされたこともある。しかし、最後に踏みとどまった。』

安田さんは、最後に踏みとどまったんですね。
本当に、とてもとても辛い時。
人間というのは、現実から目を反らして、すぐに楽になりたいと思います。
人生の分かれ道ですね。
最後の最後の試練ですね。
「もうダメだ」って思った時。
そこで踏みとどまることができたら、必ずミラクルが起こります。
「ゼロの法則」でも、その話は何度もしていますね。

「0679.願望実現で一番大事なこと(2011年10月12日)」という話がありますね。
「必読(最初に読んでおきたい話)」というカテゴリーにあるので、きっと皆さんは一度は読んでいることと思います。

安田さんが大成功したのは、「もうダメだ」って思った時、
「踏みとどまった」からですね。

続きはまた次回にお話しします。

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