- 2006-4-8
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今日も、前回に続いて、東京の会社員Aさん(女性・36歳)のお話をしたいと思います。
今回は「自分を責める」ことと「願望実現」についてお話したいと思います。
世の中を見渡してみると、成功している人や願いを叶えている人っていうのは、「自分に自信を持っている人」が非常に多いですよね。
きっと皆さんは、
「成功したから自信を得られたんだろう」
「自信があるのは性格的なものだろう」
って思うことだと思います。
最初から自分に何もない人、何をやっても上手くいかない人っていうのは、自分に自信を持つのはなかなか難しいことかもしれません。
しかし、
「○○があるから、自信がある」という考え方ではなく
「自信があるから、○○が得られる」という発想に変えてもらいたいのです。
また、
「○○が得られたから、ありがとうと言う」という考え方ではなく。
「ありがとうと言うから、○○が得られる」という発想に変えてもらいたいのです。
要は、
「○○があったら、成功できるのにな~」
「○○があれば、私もモテるはずなのにな~」
何を言いたいのかというと、
「~たら、~れば」という言葉と、おさらばしなさいという事です。
私も、運の仕組みを知って実践するようになってからは、「~たら、~れば」という、いいわけはほとんどしないようになりました。
例えば、「お金持ちに“なったら”、寄付をしても良い」って、昔の私も考えていました。
さて、「~たら、~れば」と言うのは、自分が何かを望んでいる状態なわけですよね。
(俗にいう、ないものねだり)
という事は、「自分には○○がない」という具合に、自分を責めていることにもなります。
自分を責めるっていうのは、惨めな気持ちにもなりますし、卑屈にもなってしまいます。
惨め、卑屈というのは、願いが叶っている人のイメージからは遠くはなれていますよね。
だから私は、決して自分を責めたりはしないわけです。
仮に誰かに嫌味を言われたり、傷つけられたりしても、私は決して「被害者意識」は持たないようにします。
何故なら、「被害者」というイメージを、自分に植え付けてしまうからです。
「被害者」から連想するものは?
災いが多い、不幸な人生、悲劇のヒロイン?
そして、自分を責めるっていうのは、「被害者」と「加害者」の両方を“一人”で演じていることになりますよね。
願いが叶っているのなら、決して自分を責める必要はないはずです。
それでは、自分が過ちを犯したり失敗したりした時には、誰を責めればいいのでしょうか?
誰も責める必要はないですよね。
根本的に考え方が変わると、やはり人生も面白いように変わります。
昔の私は、何かがあった時には、
「相手を責める」か「自分を責める」という二つの選択肢しか、頭に思い浮かびませんでした。
皆さんもきっと、そう思うのではないでしょうか。
「自分を責める」ということをすると、苦しい気持ちになります。
苦しい気持ちになれば、「苦しい現実」が未来に創り出されてしまいます。
この原理を知ってしまった以上、「自分を責める」なんて事は、幸せを放棄しているようなものなので、私はキッパリとその概念を捨て去りました。
(誰だって、幸せになりたいですからね・・・)
仮に過ちを犯したりミスをしたとしても、「その出来事には意味のある事(悩みは天からの贈り物)」なのだから、感謝する習慣を身につけるようにしました。
すると、最初にお話した・・・
『「○○が得られたから、ありがとうと言う」という考え方ではなく。
「ありがとうと言うから、○○が得られる」という発想に変えてもらいたいのです。』
に繋がってくるわけです。
「ありがとうと言う(感謝する)から、○○が得られる」
幸せっていうのは、自然と後からついてくるのです。
ちなみに、○○の部分は、皆さんが日頃から望んでいたものになります。
イメージなどしなくても、皆さんが望んでいるものは、「潜在意識は既に知っていますから!」
「自分を責める」のは、幸せを放棄しているようなもの。
この言葉を頭の中に叩き込んでおくといいです。
(人生いろいろあるので、自分を責めてしまいたくなる気持ちはよくわかります。
その気持ちを理解した上での、発言ですのでご了承下さいませ。)
皆さんのご活躍とご幸運を心からお祈りいたします。
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