
皆さん、こんにちは。
今日も前回の続きをお話したいと思います。
前回はこんな事をお話しました。
「リベンジを果たすことができて、
しかも自分の運も飛躍的に良くなって、
本当に、これほど痛快で幸せなことはありません。」
「リベンジ」
運的には、あまり良い言葉ではないかもしれませんね。
リベンジというのは、仕返しとか再挑戦とか雪辱を果たすとか恨みを晴らすとか、微妙に意味の使い分けがありますね。
しかし、「ゼロの法則」では、リベンジの中身は、“神様にお任せ”しています。
自分はしっかりと、相手を許すことに努めて、リベンジがあることを信じてプラス思考を続けます。
手を下すのは神様であって、私は相手に指一本触れません。
どんなに憎い相手でも、プラス思考に励みます。
しかし、もし愛する家族が理不尽な理由で殺されたりしたら、たぶん「許す」という行為に至るまでには、相当な時間がかかるかもしれません。
「これで、とんでもなく運が良くなるかも!」というのは、人を許す見返りとしては、十分かもしれませんが、なんとなく腑に落ちないところがあります。
やっぱり、相手に天罰を加えたいというのは、人間として自然な思いだと思います。
ですから、「ゼロの法則」では、「天罰を加えてやりたい!」って思っても、全く構いませんし、逆にモチベーションを保つことができて、精神的には非常にいいかもしれません。
世の中には数えきれないほどの願望実現法というものがありますが、「人を許すと、願望が叶う」という「ゼロの法則」の教えはとても異質ですね。
本当に異質だと思います。
「願望実現」と「人を許す」ことを結びつけている人は、ほとんどいませんね。
でも、私はそれを既に体験済みです。
だからこそ、皆さんには、「人を許す」ことを頑張って欲しいと思っています。
「人を許す」時のモチベーションって、実際には世の中を見渡しても、皆無に等しいかもしれませんね。
しかし、「人を許す」ことができるようになると、とんでもない願望だって叶えることができます。
理不尽な相手に天罰だって与えることができます。
「願望」がモチベーションにならない人は、「天罰」をモチベーションにすればいいと思います。
私は、両方をモチベーションにしているので、「人を許す」ことができているのかもしれません。
「人を許す」って、本当に大変なことだから、相当な見返りがないと、なかなかできる事ではないです。
でも、このメンバーページでは「人を許すと、ミラクルが起こる」と断言しています。
そこまで断言されると、心強いですね。
しかも、後ろめたい気持ちもなく「人を許すと、見返りがある」と言います。
「見返りを求めてやるなんて、言語道断だ!」という人もいるでしょうが、「ゼロの法則」では、そんな下心があっても全然大丈夫です。
どんなに強い下心があったとしても、「人を許す」というのは、本当にできる事ではないからです。
「人を許す」という行為自体が尊いのです。
もちろん、「人を許す」ことを実践しても、なかなか結果が出ない時もあります。
1ヵ月、3か月、頑張って「人を許す」ことを実践しても、状況がなかなか変わらないこともあります。
気持ちもくじけそうになりますし、イライラもしてきます。
でも、それでもあえて、頑張るのです。
そうする事によって、全く新しい世界にワープできてしまいます。
「状況(相手が)がなかなか変わらない」というのは、あたなが違う世界にワープできる事を意味しているのですから、本当ならば逆に喜ばなければならないことなのです。
私が新聞配達から本の出版へワープできたのも、特別なことではありません。
目の前にニンジンをぶら下げて、「人を許す」ことをやれば、誰にもできることです。
皆さんの健闘をお祈り申し上げます。
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