0997.無縁仏のお参りは本当にNGなのか?

皆さん、こんにちは。

本日も「パワースポットの効果は本当にあるの?」の続きをお話したいと思います。
前回はこんなお話をしました。
『ちなみに、そこの供養塔(地蔵)に手を合わせる人は誰もいません。
誰もいないからこそ、私だけにご利益がドバッーと来るのかもしれません(笑)』

供養塔や地蔵様にお参りしたからといって、ご利益があるとは信じられませんね。
でも、やはり皆と同じことをしていても、人並みの運しか貰うことができないと思います。

例えば、無縁仏。
「無縁仏、恐い~」っていう人も、多いですね。
また、占い師さんでも、「無縁仏」にはお参りしてはいけないと教えている人は、たくさんいます。
でも、そこには「徳を積む」という概念がなく、慈悲深い気持ちもそこには感じられませんね。

この「ゼロの法則」というのは、私の体験から導き出されたものです。
だからこそ、説得力がありますね。
どん底にいる時に、どんな行動をして、どんな思考をしたのか?
そして、その結果はどうなったのか?
という事を意識的に行い、その結果を報告しています。

「無縁仏」についても、ネットでは占い師さんや一般の人が、
「悪い霊が憑くから、近づくのはやめましょうね」とか
「優しい人に憑くから、可哀想という気持ちでお参りしないように」とか、
「危ないから、絶対に近づかないように」とか、
色々忠告してくれますね。

でも、私はいつも思うんですけど、「無縁仏にお参りして、人生がメチャクチャになった」という人が言うのなら、説得力が抜群にありますが、単なる推測で言ってる人がほとんどですね。
正直、無責任だなって思います。

ちなみに、私も無縁仏にお参りする習慣はほとんどありませんでした。
前にも言いましたが、2006年の12月に宝くじフルマラソンで大惨敗を喫し、かなり落ち込みました。
しかし、急転直下、その1ヵ月後には、本の出版が決まるというミラクルが起こりました。

私は、その1ヵ月間、ほぼ毎日無縁仏に手を合わせていました。
これ、事実なんですね。
世間では、「絶対に近づいてはいけない」と言われているものに対して、私は毎日手を合わせていたわけです。

戦略があったわけでもないし、冒険をしたわけでもないし、ミラクルを狙ったわけでもないし、ただ自然に振舞っただけです。
電車に乗っている時に、目の前で老人が辛そうに立っていたら、自然と席を譲りますよね。
慈悲深い気持ちとかそういうのじゃなくて、思いやりの精神ですよね。

それと同じで、たまたま目の前に無縁仏があったら、寂しいだろうなって思って私は手を合わせてお参りしていました。
「軽い気もちでお参りすると、大変な事になる」とネットではよく言われています。
また、優しい人ほど憑かれるので、近づかない方がいいという事も言われています。
私に憑かなかったというのは、私に人並みの優しさがなかったという事なのか?(笑)

そんな風にも思えてしまいますが、私は無縁仏に毎日お参りして、しかも「可哀想だから」という気持ちを持っても、結局憑かれることはありませんでした。

それどころか、その後5冊も本を出させて頂いたのですから、無縁仏さまさまです。
もしかしたら、無縁仏の霊が私に憑いて、応援してくれたのかもしれません。

本当ネットには無責任な情報が多いです。

素手のトイレ掃除にしてもそうです。
菌がついて不衛生なので、素手のトイレ掃除はやめましょうという人もいますね。
でも、綺麗に手を洗えば問題はないですし、私自身もう10年以上素手でトイレ掃除をしていますが、菌に憑かれて病気になったという事は、今だに一度もありません。
「菌がついて大変な目にあったので、素手のトイレ掃除は絶対にやめましょう」と、自身の体験で述べている人は皆無ですね。

皆さんの幸運を心からお祈り申し上げます。

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