今日も前回の続きをお話したいと思います。
前回は、「許しという、最高の願望実現法がある」というお話でした。
その中では、こんな事をお話しました。
『「許す」という行為は、相手に非があって自分に非がない場合のことを言いますね。』
特に理不尽な相手に対して、「許す」という行為を選択すると、とんでもない心の葛藤を感じるはずです。
まさしく、この時の「強烈な心の葛藤」こそが、エネルギーを生み出す元となるわけです。
これは、本当に、ミラクルが起こっても不思議ではないほどの、エネルギーに相当します。
理不尽な人を許すって、本当に大変なことです。
それは、「ゼロの法則」を発案した私でさえ、なかなかできる事ではないです。
私が「ゼロの法則」を知るまでの34年間は、「人を許す」ということが、なかなかできる人間ではなかったです。
本当に嫌だなっ、と思った人に対しては、ずっと根に持つタイプでした。
そのせいか、ずっと運が悪かったというのは、このメンバーページでもよく書いてありますね。
私の場合、どちらかと言うと正義感が強い方なので、「理不尽な人を許す」というのは、どこか腑に落ちないことを感じます。
「あいつが悪いのに何故許す?」
「あいつを許したら、自分のプライドはどうなる?」
「相手を許したら、ますます相手がつけあがるのでは?」
「相手を許すと、自分に非があった事を認めることになるのでは?」
「屈辱的なことをされたのに、許す必要があるのか?」
「あんな奴、許すなんで絶対に嫌だ!」
色々な思いが交錯します。
それでも、私は相手を許すことができるようになりました。
だからこそ、飛躍的に運が良くなったというのは、私自身がよく感じています。
怒り、恨み、憎しみ、悲しみ・・・などの人に対するマイナス感情ほど、運を左右するものはありません。
でも、ここで疑問が出てきますね。
心が豊かだから、理不尽な人でも許せるのでは?
でも、それは全く違います。
心が豊かでなくても、人間性が良くなくても、人を許すことはできます。
実際私がそうでしたから。
“何らかの効果を期待して”人を許すことができたわけです。
ようは、見返りを期待して、人を許してきたわけですね。
でも、見返りを期待しても、ちゃんと運(エネルギー)は発生します。
もちろん、見返りを期待している気持ちがある限りは、運(エネルギー)が発生することはありません。
しかし、その原理は、トイレ掃除の効果と似ているかもしれません。
汚いトイレを喜んで掃除するなんて、変態そのものですよね。
私もそう思います(笑)
でも、その汚いトイレを毎日頑張って掃除している人はいっぱいいます。
その理由は、
「トイレが綺麗だと気持ちいいから」とか
「トイレを掃除すると、運が良くなるから」とか、
あるかもしれません。
人を許す場合も、同じですね。
「気持ちがスッキリするから」とか
「人を許すと、良いことか起こるから」とか。
理不尽な人ほど、許すのは難しいですね。
「相手が先に謝るのが筋では?」
私はいつもこう思います。
皆さんも、そう思いませんか?
そんな腹の中が煮えくり返るような状況で、相手を許すからこそ、とんでもないミラクルが起こるわけです。
これを一度体験したら、もう「ゼロの法則」の虜になってしまいますよ(笑)
皆さんの幸運を心からお祈り申し上げます。
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