1232.安売り王一代私の「ドン・キホーテ」人生Part7

本日は「安売り王一代 私の「ドンキホーテ」人生」の続きをお話ししたいと思います。
今回が7回目になります。

前回は、ドンキホーテ1号店がなかなか軌道に乗らないので、売却話まで出たという話をしました。
しかし、そこでなんとか踏みとどまって、その後の快進撃が続くわけです。
結局1号店では、
「教えるのをやめた」そうです。
いくら教えても無駄なのですから、もう開き直ったのですね。

著書には次のようなことが書かれています。
『従業員ごとに担当売場を決め、仕入れから陳列、値付け、販売まですべて「好きにやれ」と、思い切りよく丸投げしたのだ。しかも担当者全員に、それぞれ専用の預金通帳を持たせて商売させるという徹底ぶりである。』
安田さんは、従業員に全てまかせるようにしたのですね。
しかも、商品の仕入れまで全て一人でやらせたのですから、売場をまかされた従業員も仕入れた商品を必死で売り切ろうと努力しますね。
自分で仕入れ、自分の頭で考え・・・。
そうこうしているうちに、圧縮陳列ができるようになったと言います。
そして、商品が売れるPOPも自ら考えるようになったそうです。

でも、「運」を味方につけて、本当の意味での快進撃が続いたのは、心の中の大きな変化です。
それは、
「問題は自分にあり」
ということです。

よく成功者などは、「責任は全て自分にある」と言うことが多いです。
斎藤一人さんも、「100%自分の責任」ということを、色んな著書で書いていますね。
安田さんは、「自分に責任がある」と気づいたのですね。

著書の中では、
『それまでの私は、「社員が俺の言うとおりに働かない。だから社員が問題なんだ」と思っていた。しかし、じつは問題は社員ではなく、私自身が問題だったのだ。』
自分を省みることができたのですね。
いくら従業員に商品が売れる陳列を教えても、なかなか言うとおりにやってくれないので、「出来の悪い社員」と思っていたそうです。
でも、そうではなく、いくら必死に教えても無理だったという事は、「自分自身に責任がある」という事に気づきました。
早い話、プラス思考をしているのと同じです。
社員を許し、受け入れ、理解するよう努めたのだと思います。

ですから、ここから快進撃が続いたのは、まさしく心の中の変化が大きく影響していることは確かです。
「行き当たりばったり」
の商売でも、大成功したのは、このように精神的に大きく成長したことが理由の一つであることは間違いないです。

やっぱり「ゼロの法則」は強力ですね。

ドンキホーテ1号店は、一年後くらいからようやく軌道に乗り出しました。
3年後には、年商15億円となり、当初目標としていた15億円に届く勢いとなりました。
その後は、年々売上を拡大していき、
開業5年後には年商20億円。

この頃は、ちょうどバブルが弾けだした時期です。
バブルの絶頂期にお店を出し、ディスカウントストアを大成功させました。
その後、バブルが弾け、高額商品はあまり売れず、安い商品が出回るようになります。
100円ショップなんかも、そのうちの一つですね。

時代の波にも乗り、ドンキホーテはどんどん拡大していきます。
バブル絶頂期には、不動産や株で大もうけした人が周りにゴロゴロいたそうです。
そんな人達を見て、羨ましいとさえ思っていたそうです。
しかし、安田さんは手を出さなかったのが、やはり運の強さだったのだと思います。
やはり、ここでも強運ですね。

続きはまた次回にお話しします。

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